紅白歌合戦の存在意義って?

毎年恒例のNHKの紅白歌合戦。毎度の事ながら疑問に思うことがある。


昔の歌で出ています的な歌手(特に演歌系)はどうなんでしょうか?確か、その年を代表するアーティストまたはその年にヒット曲を出した歌手が出るはずですが、なんで美川憲一が「さそり座の女」、細川たかしが「浪花節だよ人生は」、前川清が「長崎は今日も雨だった」等キリがないけれど、確実に以前の曲ではないか。


確かに、NHKの大晦日の一大番組、老若男女問わず、幅広い年代をカバーしなければならないのも分かるが、今更昔の曲はないだろう。きちっとした明確な基準がないから、いつも問題が起きるのではないか。小林幸子なんて歌じゃなくて衣装枠だろ。「皆さん、期待してくださいね〜」って誰も期待してへんて。いい加減飽きられているのが分からないんかな。小林幸子アイデンティティが衣装ってのも悲しいけどね。ダチョウ倶楽部のお約束「やぁ〜」と同じ種類やわ。


有線で年間ランキングの上位しか出れないとか、CDセールス上位しか出れないとか、そうすると出場者の数が減るけれど、その代わり2〜3曲まで可とかしたらステータス上がるんじゃないでしょうか。あ、そうすると演歌系が厳しいから、さぶちゃんとかあっこさんが怒るか…そういった弊害をなくさない限り、視聴率も減る一方だと思うけど。年々視聴率が下がっているのは、視聴者も馬鹿じゃないから分かってんだけど、未だにNHKと有名歌手、後は有名歌手を抱える有力プロダクションの権力闘争が明らかに作用された形で、出演者が決まっていくのがうっとうしいねんて。まあ、何年か後には、変わっていると思うけどね。


あと、森進一の「おふくろさん」と森昌子の「バラ色の未来」は、ある意味しょうがね〜っか。ある意味その年を代表したアーティストだったしね…